チャンネル桜が流すデマを何故誰も批判しないのか?

1 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 09:52:04
チャンネル桜が流す悪質なデマを何故誰も批判しないのか?


チャンネル桜ではまだ

アイヌが先住民じゃない

とか妄想言ってるね

誰か水島社長や三橋貴明に真実を教えてやれよ

2 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 09:54:43
チャンネル桜や水島先生の問題は

遺伝学、考古学や歴史学の専門家は全員極左だから言う事は一切信用できない

という判断をしていて、

西岡力や渡部昇一の様な詐欺師や田中英道の様なパラノイアのキチガイだけを出演させて嘘八百のデマを拡散している事なんですね。

南京大虐殺や慰安婦・徴用工強制連行は既に証明されていて否定できる筈もないのに、詐欺師の詭弁で視聴者を騙そうとしている。

そもそも、吉田清治さんの慰安婦強制連行の証言でも、歴史学会では疑っている人は昔から殆ど居ないのに、まだ詐欺師呼ばわりしているんですね:



経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html

3 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 09:59:07
チャンネル桜関係者のバイブル(悪名高いインチキ本なんだけど)

あるユダヤ人の懺悔「日本人に謝りたい」(復刻版) – 2019
モルデカイ・モーゼ (著), 久保田政男 (寄稿)


<馬渕睦夫氏による推薦文>

本書が東西冷戦最中の1979年に発刊されたのは奇跡と言えます。
当時ソ連を信奉してやまない日本の左翼とは、ユダヤ思想のエピゴーネンであることがばれてしまったからです。

本書を読めば、わが国の國体の真髄である「君民一体」こそ、最先端の民主主義体制であることに誇りを持てるはずです。
〜馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使) 〜

========================

<田中英道氏による推薦文>

戦後、日本を占領したアメリカといいGHQといい、その中核はユダヤ人であることを如実に示した好著である。

四十年前、この本が出た時、買い求めたが、これを左翼の論壇が抹殺したきた。
こうしたユダヤ人の懺悔を聞きたくなかったのだろう。
なぜなら、日本の論壇こそ、左翼ユダヤ人たちが支配してきたからだ。
〜田中英道(東北大学名誉教授)〜

4 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 10:01:23
<著者モルデカイ・モーゼの自称経歴>

1907年ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家、ロシア革命では指導的役割を果たした。
レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。
父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親交があった。

ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。
独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。

「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。
1941年米国へ亡命、ルーズベルト等のニューディル派のブレーントラストとして活躍。
1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日した。

____

ブックオフ東中野店で死ぬほどたまげたんだが、久保田政男がユダヤ人になりすまして書いた、モルデカイ・モーゼ『日本人に謝りたい』が自費出版で今年一月に復刊されていたらしい。
ユダヤ陰謀論とレイシズムに満ちた愚書であり偽書で、私だけでなく渡部昇一らも痛烈に批判しているのだが

モルデカイ・モーゼ=久保田政男の『日本人に謝りたい』は1979年に出版後、渡部昇一・小田島雄志・紀田順一郎
の批判を受けてインチキ本だと明らかになる。

それが2000年に入って突如復刊され、オンデマンド本として今でも一部に読みつがれ本当だと思い込む人がいるのは、恐怖でしかない。

____

田中英道氏は、著書『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』(展転社, 2011)のなかで、『日本人に謝りたい : あるユダヤ人の懺悔』(日新報道, 1979)から、4ページ(46行)にわたり無断転載・改変を行っています。

ところでコピペ元の『日本人に謝りたい : あるユダヤ人の懺悔』は、翻訳書という体裁をとっていますが、原本も現著者も存在しない和製偽書であると指摘されています
(小田島雄志×紀田順一郎×渡部昇一「鼎談書評」『文芸春秋』58(4), 1980.4)。

5 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:28:35
チャンネル桜が流すデタラメ日本史を考える

チャンネル桜は

天皇は縄文人の子孫だとか
アイヌは13世紀にシベリアから北海道に移民して縄文人を征服したとか、
韓国人は縄文人の子孫だ

とかいうデマを流しています。


【我那覇真子「おおきなわ」#74】
長浜浩明~韓国人とは遠縁だった!遺伝子から探る日本人のルーツ[桜R1-6-21] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7CPxmCGtjR0

【我那覇真子「おおきなわ」#75】
長浜浩明~遺伝子が証明!沖縄の先祖たちは、日本本土から移住した縄文人だった[桜R1-6-28] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BezxJ6uRi1g


何故誰も批判しないの?

6 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:33:27
3ヶ月近く前(2019年6月19日)に遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)がY染色体ハプログループ(YHg)Dの分類を改訂していた。
YHg-Dは世界でも珍しく、日本人の「特異性」の遺伝的根拠として、「愛国的な」人々がよく言及しているように思います。
そのため、現代日本社会ではYHg-Dへの注目度が高いようで、このYHg-Dの改訂も「愛国的な」人々の一部の間では割と早くから知られていたようです。

 具体的な改訂点ですが、現代日本人で多数派のYHg- D1b1がD1a2aに変更されています。
「縄文人」で確認されているD1b2はD1a2bに変更されています。

なお「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません。
これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します。

現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する可能性が高いのです。

おそらく

縄文人・アイヌ人は D1a2b でアイヌ語を話していた

四川省の稲作民・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人はD1a2a で日本語を話していた

弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた

7 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:34:25
縄文人・アイヌ人 D1a2b は元々日本全土に住んでいた

縄文時代後期に四川省から焼畑・稲作民 D1a2a が九州に入って来て関東まで広がった

弥生時代後期に朝鮮から渡来人 O1b, O2 が北九州・東海・畿内に入って来て日本の支配者になった

東北の縄文人は蝦夷に、北海道の縄文人はアイヌになった。
アイヌは倭人を嫌ってオホーツク文化のツングース人の影響を強く受けてアイヌ文化を作り上げた。



日本人の遺伝子の 90% は朝鮮からの渡来人で、縄文系は僅か10%
アイヌ人の遺伝子の 70% は縄文系

縄文人の起源、2~4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

従って
アイヌ人は日本人に滅ぼされた縄文人の末裔で間違いない
現代日本人は縄文人の子孫ではない

8 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:35:55
天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、
として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。
例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。
それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。
終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。
当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、
それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。
日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。
日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。
現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、
天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、
それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、
同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。

9 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:45:04
天皇はチョンなんだから祖国の韓国に引き取って貰えばいいんだよ


天皇は反日売国奴でイギリス金融資本のエージェントとして日本の神道と国体を壊滅させた極悪人だ

靖国神社は道教の一派で神道とは全く関係ない
神道では軍人なんかは絶対に神にしない

靖国に参拝するのは神道を理解していない反日売国奴だ


明治天皇が命令した神仏分離・廃仏毀釈というのは不可解な歴史的事件である。すごく変な話なのである。
 神仏習合というのはそれ以前にすでに1300年の伝統のあるほとんど土着した日本の宗教的伝統である。
それを明治政府の発令した一篇の政令によって人々が軽々と捨てられたということがまず「変」である。
この人たちにとって、千年を超える宗教的伝統というのはそんなに軽いものだったのか?

 神仏分離令の発令は慶應四年(1868年)である。
「五畿七道諸国に布告」して、「往古ニ立帰リ」「普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡候」
という祭政一致の方針が示される。

 次に神社に対して「僧形ニテ別当或ハ社僧抔ト相唱ヘ候輩ハ復飾被仰出候」という命令が発された。
社僧とは神社に勤める僧侶であり、別当は寺院と神社が一体化した神宮寺の責任者である僧のことである。
この人たちに「復飾」(還俗)して、神職に奉仕するように命じたのである。
 そのあと仏像をご神体としていた神社に対しては仏像仏具仏典の類を「早々ニ取除」くことを命じた神仏判別令が出された。

10 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:49:17
 ターゲットになったのは寺院だけではない。最初に発令されたのは六部、虚無僧、山伏、梓巫女、憑祈祷、狐下しなどの「前近代」的な遊行の宗教者の禁止だった
加持祈祷、オカルト、ノマド的宗教者が「まず」禁止された。そういう「前近代的な宗教のかたち」の徹底排除が近代国家の心理的基礎づけに必要だったと明治政府が判断したのである。

 だから、そのあと明治40年代になると、今度は神社合祀令が出て、「前近代的な神道」が排除されることになる。
全国20万社のうち7万社が廃されるというすさまじい「神社整理」であった。

 神道の国家統制を実施するためには、神社を公費で運営する必要がある。
しかし、神社の数が多すぎて管理コストがカバーできない。
だから小さい神社は(氏子たちがどれほど信仰していようと、どのような貴重な祭祀や芸能が伝えられていようと)、
コスト削減のために統廃合するという政府の態度のうちに「神道に対する敬意」を見ることはむずかしいだろう。

 だから、国家神道というのは別にある種の宗教性の価値が高騰したということではなく、
端的に「宗教的なものを政治的利用価値だけをものさしにして格付けした」ということに過ぎないのだと思う。
 
 もう一つあまり指摘されないことに天皇家はもともと仏教徒だという事実がある。
 京都東山の真言宗泉涌寺は13世紀に四条天皇の葬儀が行われて以来、天皇家の菩提寺に近い機能を果たしていた。
江戸時代の歴代天皇皇后は後水尾天皇から孝明天皇まで全員が泉涌寺に葬られている。
当然歴代天皇の位牌もここにあり、僧たちが読経してその菩提を弔っている。
明治天皇の父である孝明天皇の葬儀は仏式で行われている。
今でも歴代天皇の祥月命日には、皇室を代理して宮内庁京都事務所が参拝している。

 だから、天皇制=国家神道という図式が成立するのは、慶應四年の神仏分離令からさきの敗戦までの77年に過ぎないということになる。

11 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:54:45
羽黒山もかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。
農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、
遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、
加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。

 あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が
(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、
出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。

 慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。
羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。
いったい、神仏分離令は何を圧殺しようとしたのかがここからよく知られる。

こうやって明治天皇は日本の神道と国体、日本古来の信仰を完全に壊滅させた
文字通りの反日売国奴である。

12 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 15:56:43
靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道


戦没者は恐ろしいものではないから神にはなれない.従って祭る必要もない.

神道の教義では,神になれるのは日本軍に残虐な殺され方をして,恨みを呑んで死んでいった中国やアジアの人々だけだろうね.


神道というのは原始信仰のアニミズムやトーテミズムをそのまま残した化石的な宗教だ.

アニミズムやトーテミズムでは人格神ではなく,人間に危害を及ぼす様なものはすべて神になる. 神仏習合というのは仏教の仏を神道の沢山いる神の一つにしただけだ.

日本の仏教というのは本当の仏教ではなく,中身は完全に神道で外形だけを仏教から借りただけの代物だ.だから仏教は日本に根付いたが,キリスト教は完全に放逐された.キリスト教は一神教で神道の精神と相容れないからだ.

しかし,靖国は神道の基本精神と合い入れないから,神道とは共存できない.

靖国は軍人を殺人の前に奮い立たせるためのものであって,信仰ですらないからだ.

靖国参拝は殺しの前の儀式行動としてやるものであって,宗教的な行動ではない.

13 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 16:04:12
天皇一族が日本の国体と日本人の宗教を完全に破壊し尽した理由

明治維新から現在に至るまで日本の支配構造は基本的に変化していない。
その連続性を象徴する人物がウォール街の中枢から大使として日本へ派遣されていたジョセフ・グルーだ。
第2次世界大戦の前、グルーが所属するウォール街は親ファシストで、ニューディール派を敵視していた。
そのため、フランクリン・ルーズベルトが大統領に当選すると、クーデターを計画したわけだ。

 関東大震災以降、グルーと緊密な関係にあるJPモルガンが日本に大きな影響力を及ぼしていた。
この巨大金融資本は親ファシズムだ。この問題と向き合わないようにするため、「軍国主義」というタグが使われているのではないだろうか。

 このJPモルガンはロスチャイルドから派生した。明治維新はそのロスチャイルドを含むイギリスの支配層から強い影響を受けていた。
清(中国)を侵略するためにイギリスはアヘン戦争を仕掛けたのだが、大陸を支配するための戦力がなかった。
イギリスが日本の軍備増強を支援した理由はそこにある。傭兵にしようとしたのだ。

そして作り出されたのが天皇制官僚国家。これが日本の国体だ。
 イギリスの手先として日本は琉球を併合、台湾へ派兵、江華島で軍事的な挑発、日清戦争、日露戦争
と大陸侵略を進めていく。モスクワが革命で揺れていたとはいえ、戦争が長引けば日露戦争で日本が勝つことは難しかった。
そこで、棍棒外交で有名なシオドア・ルーズベルト米大統領が仲裁のために登場してくるわけである。

14 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 16:08:58
226事件は昭和天皇が仕組んだもので、青年将校は嵌められただけだよ。

226事件の青年将校は反自由主義、反モルガンだったから、モルガンの傀儡の昭和天皇に嵌められて殺されたんだよ。 日本軍はすべて昭和天皇一人が統率していて、軍部独走なんか有り得なかった。

ゴマすり東条さんは毎日三回は 昭和天皇の所へ顔を出して、御用聞きしてたんだ
それである日、昭和天皇が真珠湾を攻撃しろと言ったんで、へいへいとその通りにしたというのが真実


御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作り

そこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて

毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ

それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけです

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです

東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです

他の連中も

そういうシステムで戦争が進んでいく訳です
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes

15 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 16:11:38
昭和天皇と吉田茂はアメリカのスパイで反日売国奴だった

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

16 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/10(火) 16:21:47
天皇は憲法のお蔭で地位が保証されているから護憲なんですね
もともと現行憲法は天皇の地位を保証する為にGHQが急いで作らせたものだし


東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。

東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、
日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね


世界の多くの革命は市民の抵抗がきっかけだが、必ず軍や警察が国家を裏切り、市民側に就くことで政府が倒れている。
フランス革命やロシア革命、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、東ドイツ崩壊、アメリカ独立など枚挙にいとまがない。
日本では1936年(昭和11年)に226事件が起きたが、放棄した青年将校の目的は貧困農民を救う事でした。

つまり、共産革命を起こさせない為に日本に軍隊を持たせないのです。

17 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/11(水) 09:38:26
「天皇メッセージは、1947年9月に宮内庁御用掛の寺崎英成が米国側に伝えたものを米本国に送った報告電文で、
昭和天皇がすすんで沖縄を米国に差し出すという内容だった。
昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏付けられた。昭和天皇実録でも確認されている」

―当時の背景は。

「まだ占領軍内で沖縄をどうするか意見が分かれていた。
軍事化を進めて共産主義の対抗基地に使うというタカ派と、
日本の民主化を進めることが平和構築につながるとするハト派が拮抗(きっこう)していた。
そこへ天皇メッセージが出て来て、それを軸に占領軍内での沖縄の位置付けが反共拠点として
要塞(ようさい)化すべきだというものへと明確化していった。
それが天皇メッセージの歴史的意義だ」

「さらに翌48年2月に寺崎が2度目の天皇メッセージを届ける
その中で『南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含め』て反共防衛線をつくるべきだと提言する。
最も恐るべきは日本の共産主義化だと。これは戦前以来の発想だった」

―沖縄は日本から切り離され米施政権下を経て72年に日本に復帰した。
だが米軍基地の集中は変わらず、基地の自由使用など“軍事占領”ともいえる実態は今も続いている。

「沖縄が日本に復帰した後も米軍基地は残り、逆に強化されている。
これは天皇メッセージに始まる沖縄の苛烈な現実の帰結だ」

18 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/11(水) 09:38:52
昭和天皇の発言記録(1946・4~6)ホイットニー文書

昭和天皇 神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要する。

この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、
「極秘」扱いの、英文三頁以上にわたるメモランダムである。

1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物
として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除されている。

ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4~6)】

二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。
日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、
そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。
日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。

徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、
という論理のうえに築かれていた。かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。
かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。

19 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/11(水) 09:39:12
この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。
日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。
平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。
それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。

しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、
しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。

政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、
こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。

以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠点を考える時だと感じている。

私は、マッカーサー元帥と元帥の行っていることにたいへん大きな感銘を受けている。
また、対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し、それが安定効果を持つと感じている。

しかし、私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。
日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして自分の権利を利己的に追求しやすく 、
米国のストライキから有害な影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。

20 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/11(水) 13:02:09
チャンネル桜が流す悪質なデマを何故誰も批判しないのか?


チャンネル桜ではまだ

南京大虐殺は無かった

とか妄想言ってるね

誰か水島社長や三橋貴明に真実を教えてやれよ

21 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/12(木) 03:05:32
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった


日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少

 吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で
南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の
「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。
報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、
2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、
中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。
だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、
関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。
現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、
間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA) 

22 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/12(木) 08:38:46
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった _ 2

南京大虐殺は昭和天皇直々の命令で行ったものだから、右翼は必死で否定しようとしている

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

23 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/13(金) 02:34:02
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった _ 3

南京大虐殺は昭和天皇直々の命令で行ったものだから、右翼は必死で否定しようとしている


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。
つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
 南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。

反日の根拠地というので、南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。

するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。北支の戦争では
「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。
だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。皆伝え聞いて分かっていました。
中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。

その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。

24 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/13(金) 12:00:41
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった _ 4

南京大虐殺は昭和天皇直々の命令で行ったものだから、右翼は必死で否定しようとしている

戦後、蒋介石政府は、中島の第16師団と、「阿修羅」との名をもつ谷の第6師団を、南京攻略の際に39万人の生命を奪った罪で告発した

中国軍の退却が始まった後も、前線の日本軍師団はその追撃の手を緩めなかった。
東京の参謀本部は、地図上に線を引きながら、そこが進攻の止まる停止線と発表し、欧米の報道陣に一大ショーを披露していた。

その線上で、兵員は再編成され、天皇よりの秘密指令を受け取るやいなや、ふたたび行動を続けた。
だが、そうした命令の存在は、1964年に、退役した大将たちのグループが本を出版するまで、公表されることはなかった。

 当時、外国人報道陣向けに、前線にいる兵士たちはもはや手に負えず、統制がとれなくなっている、
との印象が意図的に作られていた。
だが真実は、兵士たちは大本営が皇居で設立され、自分たちの行動が神的な天皇自身によって監視されていることを知っていたため、
それほどに周到で従順な兵は、かっていなかったことである。

 最初の停止線は、揚子江デルタを横切り、11月4日に引かれた。
11月24日に、すべての師団がそこに到着した時、天皇の命令(45)により、それは解除された。

参謀本部は、同じ日、80キロ西方に、第二の停止線を設定した。裕仁は、非公式には三日後に、公式には七日後にそれを解除した。

 松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。
 南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。
ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
 松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。
 余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。
しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。

 ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。
また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである

25 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/15(日) 09:14:04
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった _ 5

南京大虐殺は昭和天皇直々の命令で行ったものだから、右翼は必死で否定しようとしている

昭和天皇の戦争犯罪を肩代わりして処刑された松井石根

「南京事件ではお恥しい限りです。
 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。
折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。
甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。
 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」



キーナンは、自分が技巧的に追及してきたその判決を聞いた日の夜、
彼の切り札証言人、田中隆吉と一杯飲みに外出した。彼は酔いにかまけつつ、

「馬鹿げている、まったく馬鹿げた判決だ」と口にした。彼が最も反対してきた判決は、
松井――南京攻略の際、その命令が悪用された痛ましい小柄な大将――の死刑だった。

 公正は私に、被告に有罪を決定する際、天皇の免責について再考するよう、求めている。

26 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/15(日) 20:51:35
日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日

吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。
同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。
人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。
報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。
その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、
関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。
現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。
これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月8日

27 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/15(日) 20:52:24
新たな資料

あまり日本では話題になっていませんが、2004年ごろに中国人研究者によって、
ドイツ駐在アメリカ大使トッド氏が1937年12月14日にフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領に打った
暗号電報(アメリカ外交関係公文書RG59-793.94/11631)のなかに、
「ドイツ駐在日本国大使館の東郷茂徳大使が、南京を占領する前に、その段階で50万の中国人を虐殺したことを自慢していた」
と書いてあることが報告されました。

いわゆる狭義の「南京大虐殺」の前の日本軍による蛮行を記録したものと考えられますが、
中国の報道では広義の「南京大虐殺」(長江デルタ一帯で行われた日本軍による残虐行為)を証明する根拠として引用されています。


犠牲者数は最大70~80万人近くまで

ところで南京戦における、中国軍の総兵力は約65,500人〜150,000人とされ、
うち被害は戦死と捕虜が50,000人ほどと概算されています。
また、それに先立つ第二次上海事変では、中国軍の総兵力が600,000人ほど、
そのうち戦死者は250,000人ほどの中国軍兵士を殺めたと

ゆえに日本軍が50万人殺したというこの通信文を真であるとするならば、
これが打たれた1937年12月14日の段階で、民間人を20万人以上殺害していたことになります。

また南京事件で有名な幕府山捕虜銃殺は12月16-17日で、南京入城は12月17日ですから、
これらの虐殺数はこの50万人にカウントされていません。
よって入城後に、中国政府が主張するような虐殺(総犠牲者30万人以上)が起きていたならば、
この50万という犠牲者数は70~80万人近くまで膨れ上がります。

28 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/16(月) 09:44:29
被害者30万人というのは事件直後の欧米人の最も信頼できる調査の結果で、電報で世界中に発信された:

30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。
当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人-20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。
電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】

29 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/16(月) 16:25:54
大寺隆(歩兵第65連隊第7中隊・上等兵)陣中日記

12月18日
昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るそうだ、
七時だが未だ片付け隊は帰へつて来ない。

12月19日
 午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、
石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る
(『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』p197より。


徳田一太郎(第十六師団第三十三連隊第二大隊)証言

太平門近くに大勢の捕虜がうろうろしていましたんや。
そこで、年寄りも男も女も子どもいっしょくたにして三、四百人ぐらい捕まえてきたんですわ。
太平門の外から言うと、門の右の一角に工兵が杭を打って、それから鉄条網を張っていて、
そこへこれらの支那人を入れて囲ってしまいました。
その下には地雷が埋めてありましたんや。日本兵が踏まないように白い紙に「地雷」と書いてありました。
そこへ捕まえて来た人を集めてきて地雷を引いてドンと爆発させましたんや。
死体が積み重なって山のようになっていました。鉄砲ではなかなか間に合わないので、地雷を敷いたそうです。
そこへわしらが城壁の上からガソリンを撒いて火を点けて燃やしましたんや。
死体が山積みで折り重なってあったのでなかなか燃えなかったね。
上の人はだいたい死んだけど、下にはまだ生きている人がたくさんいたんや。
 翌日朝、分隊長が初年兵に「とどめを刺せ!」と命令しまして、死体を調べてまだ生きている人間を刺し殺しましたんや。
(『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p130-131より)

30 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/09/16(月) 17:56:22
水島社長や三橋貴明が流しているデマ 南京大虐殺はなかった _ 6

南京大虐殺は昭和天皇直々の命令で行ったものだから、右翼は必死で否定しようとしている

南京大虐殺は中国からの財宝略奪をカモフラージュする為だった

日本兵は、川岸における毎夜の鬼畜な任務にあたらされる一方、昼間、盗みに使用された。
南京に居た米国人教授の一人、社会学者のルーイス・スマイスは、略奪は隠れた事業として始まったという。

「日本軍は重い負担を軽減するため、非公認の略奪引受人を必要としていた」と彼は書いている。
すでにスマイスは(109)、中島の到着以後、「上官の目の前で、店という店を組織的に荒らし回る」光景を目撃していた。
そして彼はこう書いている、
「収容所や避難所にいる難民の多くは、日本軍によるしらみつぶしの探索の際、わずかな財産からでも、現金や貴重品しか持ち出せないでいた」。

そして、日本軍によって発見された膨大な量の戦利品は、個々の兵士の背嚢にしまわれたのではなく、
公に軍の倉庫に運び込まれていた。

三ヶ月後、安全地区委員の一人は、自分の家から略奪されたピアノの行方を追っていた。
彼は、ある日本人将校により、二百台のピアノがしまわれている軍の倉庫へと案内された(110)。
別の倉庫には、じゅうたん、絵画、マットレス、毛布、骨董の屏風やたんすなどが満たされていた。
中島を含む多くの将官たちは、ヒスイ、磁器、銀などの小さな宝物を懐にいれていた(111)。
だが、ほとんどの略奪品は、後に売られて、その代金は軍の費用をまかなうために用いられた。

31 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/10/15(火) 12:29:17
>>1
先住民なの?!

32 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 2019/10/15(火) 12:31:09
>>7
弥生時代に朝鮮は高速船かなんかあった訳?!
どうやってきたの?!

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