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逢いみての… ★
2021/04/11(日) 22:28:42
秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが、小室家の金銭トラブルを巡る報道への反論というかたちで、合計28枚にもわたる「説明文書」を4月8日に公表した。
昨年11月、秋篠宮さまは誕生日の会見で、一連のトラブルについて「見える形で」の対応を求める発言していたが、小室さんは今回、秋篠宮さまにボールを投げ返したかたちだ。これにより、今度は秋篠宮さまが、一旦“封印”されていた「納采の儀」の実施時期をいつにするのか、決断を迫られることになった。
世間の注目を集めたのは、この文書に対して、西村泰彦宮内庁長官が「非常に丁寧に説明されている印象だ」「小室さん側と元婚約者との間の話し合いの経緯についても理解ができた」と評価する姿勢を見せたことだった。
この発言の意味を読み解くためには、西村長官がこれまで様々な「布石」を打ってきたことを念頭に置く必要あるだろう。
西村長官は、「小室さん問題」が著しく令和皇室のイメージダウンを招くとともに、国民の「皇室離れ」を一気に加速させたことに上皇后・美智子さまの心労が限界に達していることを受け、さらには天皇にも問題が波及するのを嫌い、昨年からこの問題の解決のために動いてきた。
たとえば、西村長官は、2月23日の天皇誕生記者会見に先立って、昨年12月10日の定例会見で「(小室さん側は)説明責任を果たすべき」と発言。一見唐突に見えたこの発言だが、前もって小室さん側の代理人である上芝直史弁護士を宮内庁に呼んで、宮内庁・皇室側の意向を“最後通告”したものと見られている。
宮内庁側がこの最後通告に踏み切ったきっかけの一つは、その1ヵ月程前の11月13日に、眞子さま自らが元宮内庁参与の國松孝次元警察庁長官らの意見も聞いて、文書で再度結婚への強い決意を伝えられたことがある。
加えて何よりも、「明仁天皇(当時)が一度下した断には誰も異を唱えることが出来ない」(宮内庁関係者)、つまり明仁天皇が眞子さまと小室さんの結婚を許した以上、事態を動かすことが出来ないという“皇室の不文律”を打ち破ることができず、“天皇の裁断”を履行すべく、中央突破を余儀なくされたようだ。
宮内庁がこうした動きに出たことは、現在の皇室のあり方と関係している。
昭和天皇の時代には、直言する弟・高松宮さまや、メディアへの発信力があった“ヒゲの殿下”こと三笠宮寛仁親王、島津貴子さん(現在の上皇の妹)ら皇族が、さらには天皇側近の入江相政侍従長らが強かに国民との距離感に注意を払い、メディアへの働きかけや国民へのアピールに積極的に動く「動」の時代であった。
たとえば、昭仁天皇の皇太子時代の東宮侍従長だった黒木従達氏は、公安記者だった私たちにも寛大であり、太っ腹であった。
それとは反対に、現在は圧倒的な「静」の時代となり、皇室と国民との関わりは、メディアにおける報道の華やかさとは裏腹に、実質は上辺だけで希薄なものに映る。
敗戦後しばらくは、保守政治家や旧内務省野流れを汲むキャリア官僚を中心に天皇制や皇室への理解者が存命だったが、いまや“戦争を知らない大人たち”がリードする現在の永田町、霞が関には、皇室への理解は乏しい。それどころか、無関心層ばかりで、「皇室の不文律」になど思いも及ばぬ世界ではないだろうか。宮内庁が動くしかない状況が作られているのだ。
ともあれ、前述の通り、今回の小室さんの文書を受けて、西村宮内庁長官はその日の会見で間髪入れず、「丁寧に説明されている印象」とした。
秋篠宮家をお世話する、警察庁の先輩である加地隆治皇嗣職大夫、それに先の上芝弁護士とも“共闘”しながら、シナリオ通り、「優柔不断」(皇室ウオッチャー)な秋篠宮家の外堀を埋め、あとは秋篠宮さまが、「眞子さま結婚問題」をについて改めて決断する覚悟を見せるだけの状況をしつらえたようである。
ただ、今回の「説明文書」公表が引き金になって、小室さん本人はもちろん、小室家への誹謗中傷がエスカレートしたり、偶発的な衝突はぜひとも避けたいところである。
続く
以下ソース
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82149
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世間の注目を集めたのは、この文書に対して、西村泰彦宮内庁長官が「非常に丁寧に説明されている印象だ」「小室さん側と元婚約者との間の話し合いの経緯についても理解ができた」と評価する姿勢を見せたことだった。
この発言の意味を読み解くためには、西村長官がこれまで様々な「布石」を打ってきたことを念頭に置く必要あるだろう。
西村長官は、「小室さん問題」が著しく令和皇室のイメージダウンを招くとともに、国民の「皇室離れ」を一気に加速させたことに上皇后・美智子さまの心労が限界に達していることを受け、さらには天皇にも問題が波及するのを嫌い、昨年からこの問題の解決のために動いてきた。
たとえば、西村長官は、2月23日の天皇誕生記者会見に先立って、昨年12月10日の定例会見で「(小室さん側は)説明責任を果たすべき」と発言。一見唐突に見えたこの発言だが、前もって小室さん側の代理人である上芝直史弁護士を宮内庁に呼んで、宮内庁・皇室側の意向を“最後通告”したものと見られている。
宮内庁側がこの最後通告に踏み切ったきっかけの一つは、その1ヵ月程前の11月13日に、眞子さま自らが元宮内庁参与の國松孝次元警察庁長官らの意見も聞いて、文書で再度結婚への強い決意を伝えられたことがある。
加えて何よりも、「明仁天皇(当時)が一度下した断には誰も異を唱えることが出来ない」(宮内庁関係者)、つまり明仁天皇が眞子さまと小室さんの結婚を許した以上、事態を動かすことが出来ないという“皇室の不文律”を打ち破ることができず、“天皇の裁断”を履行すべく、中央突破を余儀なくされたようだ。
宮内庁がこうした動きに出たことは、現在の皇室のあり方と関係している。
昭和天皇の時代には、直言する弟・高松宮さまや、メディアへの発信力があった“ヒゲの殿下”こと三笠宮寛仁親王、島津貴子さん(現在の上皇の妹)ら皇族が、さらには天皇側近の入江相政侍従長らが強かに国民との距離感に注意を払い、メディアへの働きかけや国民へのアピールに積極的に動く「動」の時代であった。
たとえば、昭仁天皇の皇太子時代の東宮侍従長だった黒木従達氏は、公安記者だった私たちにも寛大であり、太っ腹であった。
それとは反対に、現在は圧倒的な「静」の時代となり、皇室と国民との関わりは、メディアにおける報道の華やかさとは裏腹に、実質は上辺だけで希薄なものに映る。
敗戦後しばらくは、保守政治家や旧内務省野流れを汲むキャリア官僚を中心に天皇制や皇室への理解者が存命だったが、いまや“戦争を知らない大人たち”がリードする現在の永田町、霞が関には、皇室への理解は乏しい。それどころか、無関心層ばかりで、「皇室の不文律」になど思いも及ばぬ世界ではないだろうか。宮内庁が動くしかない状況が作られているのだ。
ともあれ、前述の通り、今回の小室さんの文書を受けて、西村宮内庁長官はその日の会見で間髪入れず、「丁寧に説明されている印象」とした。
秋篠宮家をお世話する、警察庁の先輩である加地隆治皇嗣職大夫、それに先の上芝弁護士とも“共闘”しながら、シナリオ通り、「優柔不断」(皇室ウオッチャー)な秋篠宮家の外堀を埋め、あとは秋篠宮さまが、「眞子さま結婚問題」をについて改めて決断する覚悟を見せるだけの状況をしつらえたようである。
ただ、今回の「説明文書」公表が引き金になって、小室さん本人はもちろん、小室家への誹謗中傷がエスカレートしたり、偶発的な衝突はぜひとも避けたいところである。
続く
以下ソース
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82149
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